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October 07, 2009

100年以上前の日本人起業家の話

自分のもっとも好きな趣味の一つである狩猟系ダイビング(潜って魚などを獲ってます)のなかでもカリフォルニアを代表する獲物であるアワビについて、その背景を調べていたら、そのアワビ漁のルーツにに日系移民が非常に深くかかわっていることがわかったのでちょっとご紹介。


 1994年まではカリフォルニアのアワビ漁は商用目的で大々的に行われてたが乱獲から絶滅の危機に陥ったために禁漁になる。このアワビ漁ルーツ、実は日本の南房総、白浜の海産物商の兄弟によっ1890年代今から100年以上前に始められたものだった。1890年の初頭に日本から移民した人が、カリフォルニアはモントレーの海岸に無数に生息するアワビを発見!これは絶対に事業になると確信し、当時日本で海産物商を営む小谷兄弟を招請しカリフォルニアのアワビ漁がスタート。当時アワビはラッコの餌か中国人が食用で少し取るばかりで、焼けば長靴のゴム底のように硬くなってしまい誰も見向きをしなかったしろものだったそうだ。おまけに北カリフォルニアの水の冷たさもあり当時は誰も手を出さなかったために海底はアワビのジュータン状態だったらしい。小谷兄弟はモントレーで本格的にアワビ漁を展開。当時アメリカには存在していなかった潜水器具を使った漁を始めて行ったのも彼らである。そのための人材はすべて日本から採用した。当初は干しアワビを生産し中国や日本に出荷していたが(1915年に禁止される)1900年代初頭には食用に適した加工法(やわらかく食べる)を開発し缶詰として発売し大成功を収める。ところがカリフォルニア州政府はアワビに大きさの制限や販売エリアの規制などをかけ始め、また移民に対する土地没収や商業規制なども強化し始め、隆盛を極め最盛期にはアワビのカンズメ工場を4つも経営していたにもかかわらず1931年にはアワビの工場は全て閉鎖、そして第2次世界大戦での排日命令により、日本人が立ち上げたカリフォルニアのアワビ漁の実態そのものが歴史からすっかり葬り去れてしまった。 アワビ漁自身はその後もヨーロッパ移民やメキシコ移民、そしてもちろんアメリカ人の手によって継続されたが最終的には乱獲がたたり絶滅の危機に陥ったために1984年にカリフォルニア全域で全面禁漁になった。 ちなみに1994年以降はサンフランシスコから北、オレゴンボーダーまでの間でリクリエーショナル目的での漁は可能。ただし年間24個一日3個までという数量と大きさもインチ以上という厳しいルールがあります。

 さて、戦後60年以上が過ぎ、それまで少しずつアメリカ人の歴史研究家により調査されてきたこのアワビ漁の歴史が、ちょうど100年の歳月を経て1994年に小谷兄弟のカリフォルニアモントレーエリアでの産業発展の功績をたたえる記念式典で再度脚光を浴び(今では自然保護区となっている工場跡地はKODANI VILLAGEと命名されている)、その後多くの研究家や日本のNPO法人によって文章にまとまられるまでに至った。
 

このような背景があることを知って、自分もこちらでアワビHUNITNGをしている日本人として、そんなDNAが体の中にはあるのかな?などと思ってしまったのだが、それより今から100年以上も前にアメリカでリソースとビジネスの可能性を見出し、会社を立ち上げ、日本からの潜水士(エンジニア)を招請し、現地の人材を育成、そしてインフラも商習慣もまったく異なるアメリカという地で、見事に起業して大成した大先輩達がいたことを誇りに思いたいと思う。残念ながら第2次世界大戦という大きな節目のために葬り去れてしまった彼らの功績は、まさしく今の起業家魂に通じるものがあると思うし、このようなスピリットはこの先もずっと大切にしていく必要があると思った。 

ちなみに本内容のほとんどは、上写真の日本のNPO南外房文化財.戦跡保存活用フォーラムがこのあたりの交流と歴史的な流れをまとめ2005年に出版した上記の「太平洋にかける橋」、そしてAMAZONで入手可能だがほとんど絶版状態のCALIFORNIA ABALONE INDUSTRYという本を参照させていただきました。

November 18, 2008

お疲れ様!

YAHOOの創業者であるジェリーヤンがCEOを辞任した。今回は1年半の短い期間だったが、今年に入ってからはMSの買収問題などで本当に大変だったと思う。1995年ぐらだったか、友人の家のお好み焼きパーティーで知り合い(今の奥さん)のボーイフレンドとして紹介されたジェリーはジーパンに迷彩服を着た普通の学生だった。それ彼がある日、突然、YAHOOを立ち上げローカル新聞のトップページを飾る。インターネットの覇者としてその後の隆盛は誰もが知るところだ。その後忙しい合間を何度か会って遊んだり食事したりしたと思うが、やはり有名になり会社の重責をになう立場として超多忙になり、付き合いも時候の挨拶程度になってしまった。最後に会ったのは、確か3年ぐらいまえの友人の結婚式だったと思うが、あれだけの企業のTOPになりながら相変わらず、飄々とした感じだったので妙に安心したことを覚えてる。気がついたら彼ももう40歳らしい。特に買収劇に際してはYAHOOに固執しすぎたという批判があったり(創業者として、その気持ちは十分に理解できる)、CEOというとてつもない重圧に踏ん張ってきて精神的にも苦しい立場にいたことは容易に想像できる。もちろん同社の前途はこれからが大変だとは思うが、少し肩の荷がおりたので、4月に生まれた2人目の子供にたっぷり時間を注ぐこともできるだろう。彼にとってはつかの間の休息かもしれないが、もし少しでも彼の時間がとれたら、彼を誘って旧知の仲間も集めて、また鍋パーティーでもしたいと思う。

July 08, 2008

「言われた仕事はやるな!」を読んで

友人の石黒さんが本を書いた。彼女は90年代初頭からシリコンバレーで奮闘してきた仲間の一人だ。現在は日本に戻り、彼女の会社である<ネットイヤーグループ>のCEOとして活躍し今年の3月に同社を見事にマザーズ上場に導いた女傑である。いつも会う時には、本当に気さくで気兼ねなく冗談を言い合い、時には私のくだらないオヤジギャグにも付き合ってるお茶目(失礼)な女性なのだが、この本を読んで彼女の仕事における信念と情熱、そしてその芯の強さとバイタリティを形成してきた生い立ちなどを、ようやく理解することができ(いまごろ、石黒さんごめんなさい)、いつも素敵な彼女に対する敬意の念がますます高まった。
この本「言われた仕事はやるな!」は、そのタイトルだけからみれば「なにいってるの?わかんな~い」という感じなのだが、これを理解する内容が、この本の中には具象化されていて、それのみならず彼女の生い立ち、スタンフォード入学、シリコンバレーでの起業、そして日本での会社経営という内容を通して、今の時代を生きるための処方箋と納得のいく人生を送るための指針を提供している。生い立ちによって形成された彼女の性格とスタイルが、スタンフォード大学という土壌によりさらにはぐぐまれることによって立派な太い幹に成長し、そして起業したシリコンバレーでの環境によって、より太い樹となり大輪を咲かせるまでに成長するに至った内容には、もちろん日本から見れば環境も違うし、教育も違うということで一蹴されかねない可能性も否めないのだが、少なくとも、これからの人間形成には非常に重要なヒントがいくつもりちばめられている気がするし、スタンフォードに入学しなくても、シリコンバレーで働かなくとも、そこで得られるのと同じ情報やビジネスの指針が、この本には豊富に語られている。特に自分が参考になったのは第5章の「失敗を許す」で、失敗に対する寛大なこの地の性格が、ここで成功したビジョナリー(伝導者)達の名言や逸話で分かりやすく説明されていて、これが「言われた仕事はやるな!」という変わった社風(かな?)の同社の根底にあるモチーフのような気がするのだが、自分にとっても同じような立場において、このような失敗を許容する懐の大きさをもつことの重要性を強く感じた。そのモチーフの上で「好き」を生かす組織の役割を構築し、自由とコミットメントの中で「言われた仕事」はやらずに120%のパフォーマンスを出し、そして自分の自由度を高めるために投資をさせる、という見方を変えれば「そんなことできるわけないでしょ!」と誰からも言われてしまいそうな会社を日本で運営しながら、その会社=若樹に上場というかたちで大輪を見事に開花させた彼女のパフォーマンスと生きざまは、やはり何物よりも説得力がある気がするのだ。そして立派に育って大輪を咲かせた若い樹がこのユニークな会社で次は花に限らずどんな素晴らしいものをさかせるのかが、実はちょっと楽しみでもある。彼女には大いにエールを送りたい!頑張ってね~!

October 18, 2006

東京での飲み会


今回の日本出張でシリコンバレーに居た旧友たちと再会。渋谷の居酒屋で楽しいひと時を過ごした。男性陣はジャーナリストとして活躍中のYさん。6月に 「ブログが変えるジャーナリズム」という本を出版しジャーナリズムの未来を語る第一人者。もうひとりは若くしてその才能を見込まれ大手地図メーカーの取締 役副社長として地図情報のデジタル化で新境地を切り開いているS。二人は大の親友である。
女性陣はネットイヤーグループを運営するIさん。女性起業家として以前から活躍中の彼女は9月まではあるTV番組のコメンテータをしていた。そしてプレジデント社で記者を務めるNさん。彼女も切り口の鋭い発想でいつも目からウロコの話を聞かせてくれる。
皆、個性の強い連中だ。話は本当に尽きることがない。今回は日本の現状と将来みたいな超お堅い話から子供みたいな恋愛問題までさまざまな話題で、つまみに 箸をつける暇がないほど大いに盛り上がった。私もしたたかに飲んで正直話の内容は殆ど覚えていないのだが、日本の第一線で体を張って活躍中の仲間との語ら いから、いつも強烈なパワーを充電させてもらっている気がする。そしてアメリカに戻っても彼らに負けないように頑張ろうと思うのだ。

 

October 02, 2006

生涯現役

シリコンバレーでの知り合いに起業家のSさんがいる。もう10年近い付き合いだ。Sさんは日本の大手鉄鋼メーカーの研究所で勤務し、定年退職後研究してい たテーマの技術をもとに、当時ITバブルに向けて隆盛を極めていたこの地に移住して起業。圧縮技術を武器にした会社で一時は50人近い従業員を抱えるまで になったが、あるとき新製品発表と同時に特許侵害の訴訟を受け、遭えなく会社は解散。技術をAPPLEに売却して従業員たちの生活を確保したのち、少し充 電期間をおいていたが、その後2000年の頭ごろ日本の若者が作った着メロの技術を開発する会社のCEOになり、再びこの地で活動をはじめた。残念ながら アメリカは日本ほど着メロに対する評価がないことと大手通信メーカーが独自の対応をスタートしたこともあり、ここも一時は十数人の従業員を抱えるまでに なったが、縮小を余儀なくされまた音信が途絶えていた。
そんなSさんからメイルが届いた。着メロの会社を社名変更し、今度はなんとSNSの事業を展開するという。新会社名はRIOTTT(www.riottt -inc.com)。なんと若者のカルチャーを中心としたSNSサイトの運営を展開するそうだ。HPをみると、今風のTATOOの若者やらHIP HOPのミュージシャンやらの紹介などが掲載されていて、とてもとてもSさんのイメージどころか年代からも程遠い感じがする。しかしながら、そこに新たに チャレンジする意気込みはすごく感じられた。失礼だがSさん、来年たしか70歳である..。
スラッと長身で背筋も真っ直ぐ。そしてやさしそうな顔立ちの中にキラキラした瞳の持ち主は、これから新たな挑戦をスタートする。この生涯現役の大先輩には、敬意を評すると同時に本当に頑張ってもらいたい。そしてその先輩を目標に自分自身も死ぬまで現役で頑張りたいと思う。