Main

February 19, 2010

保守的性格会社の行く末

 家にあるVIDEOテープを整理していたら(うちにはまだHDDレコーダーがないんです…)、まだ見ていない2007年の5月に放映されたNHKの「プロフェッショナルー仕事の流儀」がでてきた。ゲストはエルピーダメモリーの坂本社長。早速観て非常に共感が持てた。自分自身アメリカに長いから考えようによっては、坂本社長のスタイルは、こちらのエグゼクティブの普通の姿なのだが、坂本社長もテキサスインスツルメンツの叩き上げで育ってきたエグゼクティブだけに、特にアジア勢にそのお株を奪われたメモリー市場において従業員3,000人のトップとして彼らの生活を常に考えながら、「結論は時間をかけずその場でだす」「責任はすべて一人で背負うという」ポリシーを貫き通し、会社の肩書を傘に、黒塗りの車で通勤する勘違いしたエグゼクティブとは一線を画し、満員電車で通勤し、毎日社員のと顔を合わせながら日々の業務に奔走している姿は、本当に今見ても新鮮だった(アメリカでは、インテルのアンディグローブ会長もマイクロソフトのビルゲイツ元社長も自家用車を自分で運転して通勤していた)。こういうTOPの下でなら自分も働いてみたいと思った人は私だけではあるまい。残念ながら昨年は、景気の低迷と、メモリー市場の下落というダプルパンチに見舞われ、倒産の危機にさらされたが、恥も外聞もなく公的資金の借用をし、そしてメモリー市場の回復と呼応して、今年また再び強烈に進み始めた感のある同社は坂本社長の志が従業員にも理解されているからこそ成り立っていると思う。
 こんな坂本社長の姿勢を見て思い出した事がある。現在弊社と取引をしているA社のことだ。同社とはもう10年近いつきあいになる。残念ながらあまり大きな商いは過去にもなかったのだが、ここにきて大口のプロジェクトが入り、お陰さまでその受注に成功し、同社への発注をした。恥ずかしい話しながら弊社は弱小企業なので、なかなか銀行からの借り入れもできず、今回のような大口の商談の場合、特に支払に関してはVENDERであるA社の協力も不可欠なのだが、この会社、弊社の状況を理解していながらまったく、その条件を考慮してくれない。与信を与えてくれないのだ。当方としては、勿論客先(日系の大手メーカー)からの注文書も提示し、入金計画も含めてきちんとした姿勢を示しているのに、担当者からは、「上と相談してご返事します」そして、相談した結果「社長とも協議したがやはり支払条件は今まで通り前払いで…」のような説明。。。ちょっと愚痴めいてきて恥ずかしいのだが、社長の判断で「よし、今回は責任をとるので次回もぜひ頑張ってほしい」ぐらいの気持ちがないものなのか・・。このあたりがかなりショックだったし、社長とは以前直接会って「アメリカでの拡販をぜひ!」みたいな話をしていたにも関わらず、口だけで全く協力するつもりもない姿勢にかなり幻滅した。この会社自体もメインの商売は高官長との仕事が中心なので、弊社のようなたまにしか仕事を持ってこないようなマイクロ会社は最初から相手にされてないのかもしれない。または高官長がらみのほうで潤沢な利益があるので、あえて余計なことで今までのスタイルを変える必要なしと判断ているとしか思えない。今回は幸い日本で活躍している友人の会社から何とか資金の援助を受けられるのと(本当に助かった。感謝!)、新規で取引した別の会社が、2回目の取引にも関わらず状況を理解してくれ、支払条件にタームをつけてくれたことで、何とかギリギリのところでしのげそうなのだが、A社の対応には、本当に幻滅した。この先、この手のプロジェクトは、実は市場的にかなり魅力があり。億単位の規模も期待できそうなので、できれば積極的な展開を進めていきたいのだが、もちろんそれはVENDERの協力とチームワークががあってこそ実現するものであり、いつまでも保守的で大きな決断もできず、会社の方針だからと相手を信頼しようとも(与信をあたえようとも)しない会社と組んでいては残念ながらこの先の展開は難しいだろう。そして思うに日本の殆どの会社が実際はこのような保守的性格を未だに踏襲しているのだろう事は容易に想像できてしまう。
 アメリカの会社は、前出の坂本社長ののりで、新規のビジネスや可能性にいい意味でのトップダウンでズバズバときりこんでいく。勿論失敗もあるだろうが、得られるであろう利益に対して果敢で積極的だ。そんな一連の会社と相変わらず保守的性格を貫き通して知らないところで商機を失っている日本の会社を比べると、その行く末は言わずもがなであろう。

P.S.スミマセン、今回の内容。どう読んでもやっぱり愚痴? という感じになってしまいました。
    たまには社長のつぶやき~という事でご容赦を!

 

 

January 09, 2010

2010年に想う

新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 昨年の11月からひとつ大きなプロジェクトが入り、結局年末から年始にかけてもまったく余裕のない日々を送ることになり、このブログもまったく更新できず本当に失礼しました。

さて、 昨年は本当に大変な年だった。自分のビジネスで言えば、いままで10年間で最低の年。そこへ円高という追い討ちもあり、本当に厳しい毎日を送っていた。そして自分の生業の市場である電気業界の大きな変革があった年でもあった。デジタル化の発展により、だれもが簡単にTVやPCを作れるようになった今日、その生産の形態は大きくわかりつつある。ものつくり立国を自負していた日本は、その大きな流れに残念ながら逆らえるようには思えない。それほど、この変革はインパクトがあるものだと想う。あくまで自分の予測ではあるが、5年後には日本が開花させ、そして発展させてきたTV産業から日系メーカーが消え去ってしまう事態になってしまうような気がする。加えて自動車産業に関しても然り。電装化が進む状況において将来的に日系メーカーがどの位イニシアティブをとっていくことができるか。そしてその自動車産業の隆盛を支えてきた多くの協力会社、中小企業が、この大きな変革のインパクトをどのように受け止めていくのか?本当に真剣に考えていかねばならないような気がする。
 2010年の年頭にあたり、以前、梅田さんにお伺いした、「事業の寿命は10年が節目」という話が本当に現実となったこの時に自分自身は、どのように考え計画を立案しビジネスを継続させていくか・・・。すぐにでも結論を出さなければいけない時がきている。まずは、このテーマを早急にクリアすることが自分に課せられた2010年の最初の課題だ。

October 07, 2009

100年以上前の日本人起業家の話

自分のもっとも好きな趣味の一つである狩猟系ダイビング(潜って魚などを獲ってます)のなかでもカリフォルニアを代表する獲物であるアワビについて、その背景を調べていたら、そのアワビ漁のルーツにに日系移民が非常に深くかかわっていることがわかったのでちょっとご紹介。


 1994年まではカリフォルニアのアワビ漁は商用目的で大々的に行われてたが乱獲から絶滅の危機に陥ったために禁漁になる。このアワビ漁ルーツ、実は日本の南房総、白浜の海産物商の兄弟によっ1890年代今から100年以上前に始められたものだった。1890年の初頭に日本から移民した人が、カリフォルニアはモントレーの海岸に無数に生息するアワビを発見!これは絶対に事業になると確信し、当時日本で海産物商を営む小谷兄弟を招請しカリフォルニアのアワビ漁がスタート。当時アワビはラッコの餌か中国人が食用で少し取るばかりで、焼けば長靴のゴム底のように硬くなってしまい誰も見向きをしなかったしろものだったそうだ。おまけに北カリフォルニアの水の冷たさもあり当時は誰も手を出さなかったために海底はアワビのジュータン状態だったらしい。小谷兄弟はモントレーで本格的にアワビ漁を展開。当時アメリカには存在していなかった潜水器具を使った漁を始めて行ったのも彼らである。そのための人材はすべて日本から採用した。当初は干しアワビを生産し中国や日本に出荷していたが(1915年に禁止される)1900年代初頭には食用に適した加工法(やわらかく食べる)を開発し缶詰として発売し大成功を収める。ところがカリフォルニア州政府はアワビに大きさの制限や販売エリアの規制などをかけ始め、また移民に対する土地没収や商業規制なども強化し始め、隆盛を極め最盛期にはアワビのカンズメ工場を4つも経営していたにもかかわらず1931年にはアワビの工場は全て閉鎖、そして第2次世界大戦での排日命令により、日本人が立ち上げたカリフォルニアのアワビ漁の実態そのものが歴史からすっかり葬り去れてしまった。 アワビ漁自身はその後もヨーロッパ移民やメキシコ移民、そしてもちろんアメリカ人の手によって継続されたが最終的には乱獲がたたり絶滅の危機に陥ったために1984年にカリフォルニア全域で全面禁漁になった。 ちなみに1994年以降はサンフランシスコから北、オレゴンボーダーまでの間でリクリエーショナル目的での漁は可能。ただし年間24個一日3個までという数量と大きさもインチ以上という厳しいルールがあります。

 さて、戦後60年以上が過ぎ、それまで少しずつアメリカ人の歴史研究家により調査されてきたこのアワビ漁の歴史が、ちょうど100年の歳月を経て1994年に小谷兄弟のカリフォルニアモントレーエリアでの産業発展の功績をたたえる記念式典で再度脚光を浴び(今では自然保護区となっている工場跡地はKODANI VILLAGEと命名されている)、その後多くの研究家や日本のNPO法人によって文章にまとまられるまでに至った。
 

このような背景があることを知って、自分もこちらでアワビHUNITNGをしている日本人として、そんなDNAが体の中にはあるのかな?などと思ってしまったのだが、それより今から100年以上も前にアメリカでリソースとビジネスの可能性を見出し、会社を立ち上げ、日本からの潜水士(エンジニア)を招請し、現地の人材を育成、そしてインフラも商習慣もまったく異なるアメリカという地で、見事に起業して大成した大先輩達がいたことを誇りに思いたいと思う。残念ながら第2次世界大戦という大きな節目のために葬り去れてしまった彼らの功績は、まさしく今の起業家魂に通じるものがあると思うし、このようなスピリットはこの先もずっと大切にしていく必要があると思った。 

ちなみに本内容のほとんどは、上写真の日本のNPO南外房文化財.戦跡保存活用フォーラムがこのあたりの交流と歴史的な流れをまとめ2005年に出版した上記の「太平洋にかける橋」、そしてAMAZONで入手可能だがほとんど絶版状態のCALIFORNIA ABALONE INDUSTRYという本を参照させていただきました。

March 29, 2009

この現状だからこそできる事があるはずだ!

先週末になるが、大阪でオフィス家具製作の工場を元気いっぱい切り盛りしているIさんとお会いした。今回は2泊4日の強行軍でシリコンバレーに出張。何とか顔だけでも拝見できればと思い、日曜日のブランチにお誘いした。Iさんは、常に非常に客観的なものの見方と独自の分析力から今の日本の製造業の実態を把握されていると思う。そんなIさんのお話を伺うことで普段はまったく見えてこない本当の姿の日本の中小企業の実態を垣間見ることができる気がする。
 今回は昨今の景気の話に始まり、そこにある製造業の現状と、その行く末はどうなるのかという話、そしてこの現状だからできる事は何かという話で、かなり勉強になった。そして色々考えさせられた。製造業の行く末と言う話は、また別の機会に紹介するとして、まず、現在の日本の中小企業を中心とした製造業の現状については、ご存知の通り壊滅的な打撃を受けており、中京地区の自動車関連の下請け企業(あえて下請けという言葉を使わせてもらおう)の現状を見るまでもなく、その状況は全国的にかなり深刻だと言う。そんな中、事業主が口をそろえていうのは「今は我慢の時期だから、何とかこの場をしのいで、景気が上向きになったら、また頑張りたい」ということで、この時期をうまく利用して何とか活路を見出して生きたいという意見はほとんど聞けないらしい。これは今まで攻めの営業や事業展開をすることなく、単に下請けと言う状況で常にメーカーから入ってくる仕事で十分なレベニューを得る事ができたが故に、不況時の凌ぎ方はこれしかない。と言う認識が根底にあるからかもしれないが、この先はそうとばかりは言えないのではないかという気持ちが私の中では非常に強い。
 実際Iさんの会社も製造メーカーとしては中小のサイズで主な製品もオフィス家具なので、この不況の影響をまともに受けているのだが、彼は、ここを好機と位置づけ、景気のいい時は忙しすぎて手が回らなかった様々な試みをスタートしたと言う。その例として、まずコストの軽減を実施すべく、全ての仕入先の見直しを徹底的に行ったそうだ。現状は喉から手が出るほど仕事が必要な製造メーカーが巷には溢れているので、極端なことをいえば幾らでもコストダウンができる感じを受けたそうだ。そしてIさんは、その価格のメリットと自社の持つ優れた品質を武器に、今まで参入が難しかった業種や、日々の生産に追われ、なかなか業者選定の見直しまで余裕がなかった大手メーカーへのアプローチを再開し、量は望めないものの非常に力強い感触を得ているという。これがまさに今の状況を最大限に活用し、次のチャンスへつなげるための処方箋ではないかという思いがした。同じような話を日本のTVでも見たのだが日本の大手家電メーカーであるK'S電機は景気のいいときには一切事業や店舗の拡大を行わず、景気の低迷したときを利用して店舗展開を行うという。そのほうが収益の減退以上にコストを軽減できるからだそうだ。逆転の発想が会社の発展に大きく寄与している端的な例だと思う。この前のエントリーにも紹介したが、シリコンバレーの製造メーカーでも半導体産業に依存し、その景気の動向によって不景気になるとじっと耐え忍んで生きながらえるか、そのまま死滅してしまうところもあれば、ソーラーや新しい産業に積極的に営業を展開し、現状をしのぐばかりか、将来的な拡張へ確実に前進しているところもある。残念ながら日本の製造業の場合は下請けと言う極端に営業力が脆弱なスタイルが主流である為に、この現状を逆転の発想で乗り切り将来につなげられる事が難しい可能性が高いのが現状だが、Iさん(本当に勉強になりました。ありがとうございます)のような経営者が中心になって、この現状を逆にうまく利用し、それを乗り切るだけでなく将来の発展につなげる活動や試みが、もっともっと盛んにならないものかと考えさせられてしまうが、かく言う私も、そのような視点でできる事を積極的に考えてみたい。

 

February 16, 2009

日本人として情けない思いをした日

久々の投稿がこんな話題になってしまうのもほんとにがっかりな話なのだが…。 
 今日は嵐の中、サンノゼからサンディエゴまで焼く800kmのドライブ、途中LA手前のTEJON PASSが雪の為に通行止めというハプニングに見舞われ通常7時間半の行程がなんと10時間に。そんな中、このドライブのあいだ、聞いていたAMのラジオニュースでは、しきりに日本の中川のG7での見解の様子を伝えていた。それも、その体たらく振りをわざわざ日本語で呂律の回っていない様子の録音まで流していた。アナウンサーはしきりに「日本は35年以来の大不況、TOYOTAやSONYなどの大手が軒並み大幅減益の状況の中、その復活をつかさどるはずの財務相のこの態度(と言っていたと思う)はいったい何なのか?」と呆れた様な感じで話してた。おりしもクリントン外相が日本を訪問し、この世界的な不況に対して共に協力して行こうと言う矢先なのに。。。とも話していた(と思う)。
 こんなに繰り返し日本の話題をニュースで流しているのはアメリカに来て初めての経験だった。
 一体何なんだろう?一国の代表たる大臣が、それもこの世界不況の中、もっとも重要であるはずの蔵相会議でこの情けなさ。高速代の軽減や給付金の支給など、やるやるといいことばっかり言っておきながら、何一つ実現することができない首相の情けなさもさることながら、彼の選んだ大臣の輪をかけて情けない姿に本当に日本人として恥ずかしく思ってしまったよ。そして悪びれずに言い訳をして辞任していくあの態度。国辱を犯していることを理解しているのか。おまえは??
 あ~アメリカに来て、こんなに情けない思いをしたのは初めてかもしれない…。

January 07, 2009

2009年をどう生きるか

 08年、サブプライム問題に端を発した金融危機による大手金融機関の倒産から波及した景気の冷え込みは、後半一挙に加速し、今まで不動と言われたアメリカ自動車業界(ビッグ3)が破綻しかねないという前代未聞の状況を生み出し、加えて加速する円高による日本企業の業績不振、そして中東を中心とした情勢不安は拡大の気配まで見えてくるという不安な世相を踏襲したまま2009年は幕を開けた。とにかく去年は特に後半、青ざめるほどの急激な円高に生きた心地がしなかった。為替の問題は常にここでもテーマにしているが、すべての仕入れ先と円建てで商売をしている弊社にとっては一番重要な問題であることに変わりはない。10月からの急激な変動で3万ドル近いお金がまるで手品を見ているように右から左に移ったとたんに消えてしまった。3万ドルの利益を上げるためには最低でも10倍以上の売り上げが必要になる。30万ドルを売り上げるということは並大抵の苦労ではない。本当に大枚の入った財布を無くしてしまったような感覚だ。12月の決算で、なんとか年は越せる目途はついたものの、この先の状況は大半がさらに悪化の予想で本当にどうなるかという不安ばかりが先行してしまうと言っても過言ではない。で、今年もさらに進むであろう、この円高の状況をどう乗り切っていけばよいのか?少なくとも去年までは為替のヘッジが可能だったので、大型の案件であれば事前に予約を入れるという対応もとれたのだが、なんと昨年の後半からそれもできなくなってしまった。ということは極端な話、なす術がないわけだ。
こうなってしまったらもうどんなにあがいても仕方がない。為替相場だけでなく景気の状況もよく見極めたうえで、それに順応した生き方を見出し、かつ戦略を立てて柔軟に対応していかなければならない。とにかく今年は市場の冷え込みも半端ではない。でも必要なものは必要だし、こういう時期こそ今まで忙しいがゆえに目の届かなかった品質管理体制の見直しや修正予算の削減などに本格的に取り組むよいチャンスであるということを前提に客先へのアクションアイテムを吟味していきたい。
 巷では「100年に一度の大不況」といわれる2009年。この不況の状況だけを見て不安にうずもれてしまうか、それとも、この100年に一度の経験ができることをラッキーと考えて行動するかによって、将来は大きく変わってくると思のだ。


 

October 27, 2008

少し前の話だけど…。


 9月の日本行きの際に長野でブドウ園を営んでいる友人のところへお邪魔した。彼とは90年代にアメリカで共に遊んだ仲だ。彼は日本に帰国後、20年近く(?)務めた大手証券会社を辞め、家族とともに長野で農業を志し、まさに40の手習いでブドウ栽培を始めた。
ちょうど9月は収穫の真っ最中。台風一過の素晴らしい青空のもと、見事に実ったブドウが本当にまぶしかった。味もまた格別。奥さんとともに作業にいそしむ姿は何ともうらやましい感じ。それにしてもわずか2年でこんなに素晴らしいものが作れるのは、もちろん本人の並々ならぬ努力もあると思うのだが本当に感動的だった(今頃は巨峰のジャムやジュース作りに忙しくしていることと思う)。


 ここのところの金融不安、軒並み大手証券会社の倒産や、銀行の統廃合、そして世界的な経済悪化のはざまの中で胃の痛い思いをしながら翻弄される人生を考えればそれこそ最上の選択だったかもしれない。かくいう自分もそんな嵐に巻き込まれ、相変わらずもがいている身の上。。。確かに世の中の景気が悪くなれば一次産業にも影響は出てくるだろうが、そんな中で自分の意思と違うところで翻弄されずに生きることができる彼の選択は、自分にも一考どころか熟考を与えるに十分値している。


July 30, 2008

「パラダイス鎖国」を読んで

2週間ほど前になるが、「パラダイス鎖国」の著者である海部美知さんの講演会にお邪魔した。彼女の本に関しては友人の湯川さんから「こんな本でたで~えんちゃんがいつも言ってたことや」と紹介された記憶があったのだが残念ながら、なぜか今まで読むタイミングを逃していた。今回の講演では、主に通信の立場からみたネット世界に関しての内容が中心だったが、本音をいうと自分としては海部さんを一目拝見したかったのと(失礼)、著書である「パラダイス鎖国」という本の中身に関することも少しは話題に上るのかな?という点に実は参加の目的があった。
さて会場で早速本を購入し(サインも頂いてしまって恐縮です)、ちょっと時間が掛かってしまったが数日前に読了。先ず結論を述べると、かなり面白くかつ感心した。というのは自分が1999年に起業してから感じてきた「日本」のあり方が実に的確に、そして端的にまとめられていたからだ。本の内容は「住みやすく、ビジネスもしやすくなった日本がゆえに日本人は海外にあこがれも興味も無くなってしまった」という現状と、その結果として世界の中から孤立していく状況、そしてその状況を将来的にどう打開するかの指針という構成だが、これが自分が今までもやもやと感じていた日本という国に対する不信感というか危機感を見事に表現し、かつ自分には見出せていなかった将来的にどのように打開していったらいいのかという答えにもなっていると思った。そして自分の中にあった大きな疑問、1990年の初頭、私の元いた会社は、OKI、MITUBISHI、PANASONIC、NECをはじめ多くの日系携帯電話(当時は自動車電話も含まれる)メーカーのアメリカとメキシコの工場を相手に商売をしていたのだが、1996年を過ぎたころから本当にスッと潮が引くように殆どの会社が撤退してしまったという状況(当時は撤退に関して色々な噂があって日本の携帯は小さすぎでアメリカ人の指では押せないとか、携帯が小さすぎて顔の大きさに合わないとか、そんな話もあったけど)があって、会社の業績に大打撃を受けた記憶があったのだが、この本当の理由に関しても本書の中で詳細に説明がされていた(ありがとうございました)。
 さて自分がその後、独立、起業して、アメリカにある日系の製造メーカーを相手に商売をはじめてから今日まで、自身も色々な側面で日系メーカーと日本人の消極的な姿勢を目の当たりにしてきた。日本の中小企業の優れた技術や製品の紹介で日本のものつくりの復権に貢献したいという自分のミッションに対して、かつては多くの会社が賛同、つまり商いの申し出をすると積極的に話しに乗ってきてくれたのが2000年の頭ぐらいから徐々に「うちは日本で十分間に合っているから・・・」的な返事をもらうことが増えたという現状があったり、アメリカの製造メーカー(日系も含めて)、それも品質や性能にこだわる製品を製造している現場で、独断場だった日本製の優れた副資材の数々がその地位を失い品質もそこそこで低価格なアジアの製品が積極的に採用されるという状況がいまでは一般的になっていたり、アメリカにある日系の大手製造メーカーにおいても韓国、そして台湾勢の猛攻に対して価格競争に巻き込まれ、どこと無く覇気を欠いてしまったような感じを受けてしまったり…とにかくこれらの全てが「パラダイス鎖国」という言葉で見事に表現され、そしてその現況に起因してしまっていることが理解できた気がする。この状況に対して、海部さんは「21世紀の緩やかな開国」という項で具体的な現状とそれに対しての急激では無く、できる範囲での打開策を挙げ、そして「アメリカに何を学ぶか」の項ではさらにアメリカこそが本当の「パラダイス鎖国」(確かにいわれてみればその通り!)という観点から、そのアメリカがどのようにして、その状況を替えてきたかを検証し、そして「日本人とパラダイス鎖国」の項でこれからの日本、そして日本人のあり方について説いておられるが、特に最後の「脱鎖国の日本人」に書かれている一寸した意識改革こそが本当に今一番必要なことではないかと、特に日本の若い人たちを見ていると感じるこことが多い。このような考えは自分のようなオジンの考えかもしれないけど、若い人を見ていると自国である日本の現状を憂うという気持ちがまったく感じられないのだ。 これに加えて本書の最初の章に記されていた「パラダイス鎖国。産業編」で、携帯市場からの一斉撤退の理由も把握はできたのだが、この状況を目の当たりにして感じた私の日本企業に対する強い懸念がある。その気持ちは今でも変わらないのだが、それは「日本の企業というのは、なぜ皆右へ習えなのだろう?」と言うこと。これは過去にもブログに書いた記憶があるが、何故あのとき、莫大な投資をしていながらせめて一社ぐらいは、その投資を回収するまで頑張るぞ!という大和魂を貫き通さなかったのか?そして日本で限られた市場の奪い合いをいまだに性懲りも無く継続するのではなく(こんなことしているうちにまさに漁夫の利でI-PHONEあたりに徹底的にしてやられてしまう気がしてならない)、海部さんが書かれておられるような中国、アジアを主体とした大市場に、かつてのSONYやHONDAのように黒船を豪快に乗りつけ再度挑戦状を韓国勢やNOKIA、モトローラに突きつけるような気概溢れる独創的な志を持った会社がせめて一社ぐらいあってもいいのでは、と思うのだけれど、この辺はいかがなものだろうか…。海外に生きる日本人、そして日本に未だに誇りを持つ身としては、これが非常にむなしさを感じるところであるが、機会があれば、ぜひ海部さんにこのあたりのご意見を伺ってみたい。

May 16, 2008

同姓結婚を認める判決のニュースを見て感じたこと

昨日(5月15日)の北カリフォルニア、特にサンフランシスコ周辺は、カリフォルニア州最高裁がサンフランシスコ市の訴えを認め、同姓結婚を容認する判決を下した話題で持ちきりだった。サンフランシスコは全米でもゲイ(同性愛)カップルたちの聖地として長い歴史と伝統がある。メインのカストロストリートでは、多くの男性カップルが普通に生活している様子をこれまた普通に見ることができる。それはある意味物事や規制にとらわれない非常にリベラルな気質が、この地だけでなく、そこに生活人々からも感じ取ることができるということだ。何しろ同性結婚をカリフォルニア州を相手に訴えたのが個人や団体ではなくサンフランシスコ市というのだがら凄まじい。もともとサンフランシスコといえばヒッピーのメッカであり今から40年も前に、そのようなリベラルな主張とLOVE&PEACEのスピリットを持った多くのヒッピーたちがフラワームーブメントの名の下に全米のみならず世界中から集まり、一つのジェネレーションを築き上げていたことは非常によく知られているが、そのときのスピリット、DNAが未だに延々と受け継がれているところに、ものすごい意味がある気がする。きっとサンフランシスコ市で、このような訴えを起こすプロジェクトを推進していたのは、この世代に洗礼を受けた人々だったかもしれない。もちろん、そのDNAはシリコンバレーという非常に特殊なエリアを築き上げてきた先人たちにも間違いなく受け継がれているといっても過言ではないであろう。”STAY HUNGRY, STAY FOOLISH"の名言を残し、いまやシリコンバレーのカリスマのひとりとなっているアップルCEOのスティーブジョブスも、その根底にあるのは体制にとらわないリベラルな精神という、まさにヒッピー文化に共通する姿勢だ。そして今、その当時、彼らによって主張されていた、パーマカルチャーやエコロジーなライフスタイルが、本当の意味で具象化されてくる、というかされざるを得ない状況になりつつあることも事実だ。原油高に伴う物価の上昇、地球温暖化の問題などなど。我々の生活に直結する問題に対してどのように行動すればいいか。その指針は既に40年も前から、ここでは主張されていたわけだ。もちろん当時は誰も現在の状況などを予測できないから、そのような主張をする若者を、ただ単に自由と反体制を主張しドラッグに陶酔するイメージでしか捕らえられなかったであろうが、今はそうではない。当時彼らが主張していたことを実践することが不可欠になってきているのだ。大きいところでは若くして富を得た多くの新世代の起業家たちが、そのDNAによって次世代の石油に代わるエネルギー源の開発や環境対策といったテーマでビジネスという視点も考慮して次々とアクションを起こしつつある。その先端を行くGOOGLEでは、数千億の資産のある創業者の一人は環境を考えプリウスに乗っているし、社内のカフェは環境に配慮し半径150マイルの調達される材料のみを使用していたりする。行政面でもハイブリッド車に優先レーンの使用を認める配慮がなされていたり、サンフランシスコから南、モントレーにかけての農園で生産されるオルガニック野菜はダントツで全米一の収穫高を誇っている。もっと細かいところでは、私の行きつけの何店かのコーヒーショップは自分のCUPを持参すると大きさにかかわらず、コーヒーを50セント引きにしてくれて、CUPの消費軽減に努めていたり、以前私のスローライフの師匠であるウメさんが主張していた"マイハシ”運動を実践している日本料理屋も既に存在していたりする。そのうちの1店では箸を購入してくれたお客さんに日本の蒔絵柄の素敵な箸入れをプレゼントして、箸をお店にキープしている。当然お客さんはその箸があるから、そのお店にしか通わないというマーケティング的なメリットもしっかり出していて、そろそろキープ箸は100膳を超える勢いだそうだ。これでそれなりの割り箸消費の軽減、しいて言えば森林伐採の軽減に貢献しているわけだ。こういう地道は活動が、この地では、これまたすんなりと受け入れられるような気がする。これもヒッピームーブメントの伝統だろうか…。
というわけで同性結婚のNEWSから、かなり話題がずれてしまったのだが、このような事柄に対しても寛大でリベラルな風土が、歴史的に伝統のあるもので(まだ40年足らずだが)、それがシリコンバレー隆盛の原動力にもなり、そしてこの先のエコロジー文化、産業の面でも間違いなくイニシアティブを取り続けていくであろうことは、私としては容易に想像できてしまうのだ。

April 12, 2008

IT世代の新入社員から思った事

4月はちょうど新入社員たちが新天地での生活をスタートさせる時だ。たまたま、そのタイミングで日本に来ていて、色々なNEWSでその光景を放送していたり特集を組んだりしていた。今年の新入社員たちは総してIT世代だという。子供のころからTVゲームにいそしみ中学に入ると普通に携帯電話が友人たちとの交流手段の中心になり、PC上でのネットワークで情報収集をすることが基本となっている世代。そのために各企業では、新人研修に新たなメニューを準備しなければいけないという。それは本当に基本的な礼儀作法や敬語の使い方、そして社会人としてのマナーなどだそうだ。本来であれば人と人との交流、目上の人との関係、そして成長していく上である程度、自然に身についていくべきことが欠如(極端な表現だが)している若者たちが多いという。実際にTVで放映されていた新人研修会社では、基本的なビジネスマナーのならず、挨拶の仕方から敬語の使い方までを教えるコースが、一人当たり7万円という費用にもかかわらず盛況だと紹介されていた。つまり採用した会社側でも新入社員のそのようばキャラクターを憂慮していると思われる。そして書店においても、ビジネスマナーのハウツー本や敬語の使い方、社会人としての基本的な知識などの本が特設コーナーに山積みされていた。
 基本的に超体育会系人間の私にとっては非常に古臭いとよく言われるし自分が完璧だとも思わないけれども、残念ながら言葉遣いができないとか基本的なマナーを身につけていない人との交流は非常に苦手だ。ついつい億劫になってしまう。でも、そう考えると、この先IT世代の若者たちが、その知識と環境と才能を駆使して、世の中を覆すようなインフラやビジネスや環境を作っていく可能性が十分にある将来に於いては、もしそれが礼儀とかマナーの無いものであれば自分には適応できない部分が多々出てくるのではないかという心配も無いわけではないが、今まで営業という職種を20年以上も続けていると、確かにITのおかげで情報の伝達や営業活動も楽で効率よくなった点や、この先、益々そのIT偏重の傾向が増してくれば増してくるほど、逆にフェース トウ フェースの重要性がさらにクローズアップされていくような気がしてならない。

 

April 04, 2008

在米20周年

 自分の記憶が確かならば、今から20年前の1988年4月5日に私は始めてアメリカ本土に上陸した。それから20年のアメリカ生活。本当にあっという間だったという感じがする。2年間の韓国担当を経て、アメリカに来て仕事を始めた1988年は、ちょうどソウルオリンピックの年で、いいタイミングで韓国を離れてしまったことを後悔したのを覚えている。そして英語もそこそこ勉強して少しは自信があったのに、アメリカ行きの機内で、得意げに「COKEプリーズ」と言ったはずなのにコーヒーを持ってこられ、この先大丈夫だろうかと妙に不安になったのが昨日のように思い出される。
 当時のアメリカ、シリコンバレーは、日本より一足先に軽いバブルが終わって少し混沌としていた時期。UNIXベースのサンマイクロが破竹の勢いでサーバー市場を凌駕し、アジアの安いPCがこれまた凄い勢いで市場を席巻し始めていた。そして既にその地位を確立していたアップルがMS-DOSに押され衰退を余儀なくされ創立者であるスティーブジョブスが自らの会社を去った年だったと記憶している。当時はまだPCもモノクロのCRTで、ソフトウェアではワードスターやLOTUS、DB3などが主流を占めていた。
 その頃から90年代初頭にかけて、テレフォーニーという技術が急速に普及しはじめ、会社に電話をしても殆どの場合、個別のメッセージで「最近の営業は電話の機械にメッセージを残して終ってしまう」とアメリカ人の営業担当がこぼしていたことを記憶している。今になって思えば、このテレフォーニーに不可欠な小型の交換機の技術が後に来るインターネット時代に不可欠なROUTERの技術の布石になっていたのではないかとも考えられる。
 1995年あたりから交換する名刺にぽつぽつとメイルアドレスを見かけるようになってきたと思ったら、その後一年も経たないうちに怒涛のようなITバブルの幕が上がり、当時唯一ROUTERの生産をしていたCISCOシステムの株価が1997年の1年間で75倍になり、ZIPドライブのI-OMEGAの株価は50倍。そんな会社がざらにあってNSADAQ市場は空前の活況を呈し、周りに株成金やスタートアップで一山当てたにわか成金が現れ始めたり、友人のボーイフレンドで、パーティをすると彼女と一緒によく遊びに来ていたジェリーが、YAHOOを立ち上げて新聞の一面に登場したりと、何か自分のよくわからないところで、ものすごい流れが巻き起こっている印象があって自分もこればぼやぼやしていられないなあ、と思っていた矢先の98年に親会社が何と倒産。アメリカオフィスも清算を余儀なくされ、その当時現地法人の社長だった自分は、その業務に奔走して精も根も尽き果てボロボロになって、「これはもうやってられないな」と思い、1年間コスタリカあたりに行ってスペイン語の勉強と毎日サーフィンをしながらのんびり暮らしてみようと計画していたのに、友人たちに相談したら「お前馬鹿か?シリコンバレーはドッグイヤーだぞ。1年で7年先に進むんだ。おまけに今は一攫千金のチャンスがごろごろしてるのに、何でここを去るんだ?」と説得され、自分の周りの成功している連中を目の当たりにすると「そうかなあ?」と思い、自分ももしかしたら…などと単純にその気になってしまって、夢にまで見ていたコスタリカ行きをあきらめ、その旅行資金を元手に99年に会社を設立(本当にいいお客さんに恵まれたおかげで会社をスタートすることができた)し自宅の一室で業務をスタートしたのが1999年だった。
 ところがその年の後半にITバブルの崩壊…。幸か不幸か、IT産業とは、ある意味縁のない製造業に近いところで商いをしていた関係で、恩恵もこうむれなかったけれども損害もうけず、2000年からは本当にがむしゃらに奔走して今日に至る。という感じである。
アメリカに来て、それもシリコンバレーという環境で仕事ができたということは本当に自分にとっては素晴らしい経験だったし、90年代後半のITバブルのゆりかごから墓場(ちょっと言い過ぎだけど)までを傍観者としてみることができたことも何事にも変えられない貴重な体験だったと思う。そして今、本格的なWEB時代を迎え、その中枢を相変わらずリードしているこの地で、この先をどう生きるべきか?自分としては尊敬する梅田さんをはじめ、ここで得た多くの知人や友人たちの知恵と英気を十分に租借して、新たな展開を試みながら当分は頑張っていきたいと考えている(スミマセン乱文ご容赦ください)。

 

February 26, 2008

ソフトウェア産業の行く末は?

ソフトウエアプログラミングではスパークリエーター並の凄い友人がいる。彼はだいたいエスティメートで月ベースで$数万ドルクラスの仕事をこなしているのだが、ある日、この手の仕事の相場に興味をもち、「恐ろしいサイトを見つけた!」と興奮気味に話してくれた。そのサイトというのがこれhttp://www.getafreelancer.com/。ソフトウェアの仕事に関する入札(オークション)サイトだ。企業主が無記名で日雇い、もしくはプロジェクトベースの仕事を公開する。それに対して、世界中からその仕事に対するBITが始まる仕組みだ。たとえば、あるソフトウエアの仕事があって予算として通常の時給換算で月100万円の予想を立てたとする。しかしながらその仕事は、その国の相場で考えられているわけだから、仮に月1万円もあれば十分暮らせる国の天才プログラマーが、生活費プラスαで、この仕事を2万円でBITすることも可能なのだ。当然、同じ国でも学生がアルバイトで、また会社勤めのエンジニアが副業でBITすることもまったく問題ない。こうなってくるとソフトウェア開発という仕事に関して言えば、ますます低価格化が進み、産業自身の構造が大幅に変わってくるようになるだろう。大手企業の経理担当の友人が以前はなしていたが、その会社のサーバーやイントラネットを構築する際には、そのハードの倍以上の金額をソフトの開発に費やしていたそうだが(もちろん大手がまとめて受注しソフトの開発はすべて外注展開をし、その差額を搾取しているものと思われるが)、こういう構図も将来的にはなくなるかもしれない。
最近携帯端末のOSとして発表されたGOOGLEのアンドロイドもベースはオープンソースで元は無料のLINUX、対抗馬のLIMOも同じくLINUXベースで、いままでハードの開発に比例して新製品の開発費の大部分を占めていたであろうソフトウェア開発という出費は、どんどんなくなってくる状況が今後は益々一般化していくと考えられる(その割にいろいろなものは安くなってない気がするけど)。
そうなってきたときソフトウェア産業というのはこの先どうなっていくのだろうか?興味津々。

February 14, 2008

どんどんタダになる!

少し昔の話になるが、日本の大手地図メーカーゼンリンのIT部門子会社ゼンリンデータコムの社長を務める友人と最近の状況などについて話したことがある。彼によれば最近のWEBの普及により、当然たくさんのビジネスが創出されている反面、どんどんなくなっていくビジネスも多いとのことで、その最たる例が彼の会社だと語った。今まではみな地図を買って目的地やら所在を調べていたが、いまは、YAHOO,GOOGLEで目的地の所在はおろか、ナビゲーションまでしてもらえる。そうなると地図を購入する人は当然のごとく減少し、それを生業にしている人にとっては大打撃となるわけだ。そのために同社ではIT部門の子会社を作り、このような状況に対応していく計画だったのだが、最近ではこの分野も限りなくタダに近づく傾向にあるという。考えてみればそうだ。だって我々は、先のようなSE各社が提供するサービスを当然無償で利用しているわけで、そのデータを供給している友人の会社では、そのデータ化に莫大な費用と労力を費やしたにもかかわらず、供給先からはタダ同然の契約を強いられていると思われる。確かにそうだと彼は話していた。そしてそのような状況でも生き残れるビジネスモデルやスキームを考えていかなければならないと真剣に話していた。
 昨今のこコンピューター、携帯、そしてインターネットの普及によって、世の中はますます便利になり、それに相乗して情報、つまりサービスというものはどんどんタダになっていく感じがする。この地図の例だけでなく百科事典を買わなくてもWIKIPEDIAはあるし、専門書を買わなくてもたいていの情報はネット上で集められる。この状況は間違いなくサービス業、強いて言えば第3次産業自身に深刻な状況をもたらし、この先はさらに利益体質のスキームやモデルを維持していくことが難しくなっていくのではないかと考えられる。それもGOOGELやマイクロソフトのような、すでにこの手のインフラを押さえているGIANTが特定のサービスの無償化を次々に促進すれば、当然、関連のサービス業に携わる人たちを簡単に路頭に迷わすインパクトがあるということを、幸いにして製造業に携わり、そのような影響を自分自身は直接は被らないにせよ、少しは頭の片隅に置いておく必要があると強く感じてしまった。

January 29, 2008

電機業界再編に対する一考察

少し古いが昨年末にシャープと東芝が液晶パネル事業で提携のニュースをきっかけに、日本の電機業界はこの先、提携や株取得による統合といった再編に加速がつくのでは?というニュースを今回の日本出張ではかなり耳にした。確かに以前から折にふれて話していることだがPC事業ではすでにソフトもCPUもマイクロソフトとインテルに取られ、最後の希望としていたメモリーも韓国勢にやられ、民生機器でいえば、IPODの出現に手も足も出せず、最近では御手芸のはずであった液晶、プラズマも韓国、台湾勢の猛攻に何とか持ちこたえようとしている状態。こんな中での再編には、その目的が自分の期待通りであれば正直なところもろ手を挙げて賛成したいところなのだが、果たして本当の目的は何なのか?という点に関してどうもモヤッした感が否めない。これらの再編ははたしてほんとうにグローバルな視点から海外の列強に対して日本がシェア奪回に向けて立ち向かっていこうというものなのか?もしくは自社の設備投資の軽減と利益の確保により国内でのシェア争いを優位に展開するためのものなのか?もし前者であれば本当に大喜び!古い保守的な体質を捨てて新たな生産体制の構築や市場の分析にも分野の統合によって今まで以上に期待が持てるところだが、後者であれば将来的な期待は残念ながらできないのが率直な意見だ。日本の企業を見ていると同じ商品での業績が1社が赤字だと他も赤字。1社が黒字なら他も黒字といいった個性というか特徴のなさを以前から感じる部分が多かったのだが、ただ国内の需要や利益を重視するための再編であれば外から見たら没個性の「ひとつの会社の」のように見えなくもない商品部門の内部統合で、終わってしまうような気がする。これが逆に変な意味で他国の漁夫の利になってしまわないことを願うばかりだ(もし後者ならの話です)。
少なくとも私個人としては、6ヶ月後のNEWSで「ヨーロッパ、アメリカ市場でシャープ、東芝連合がSAMSUNG,LGの大型液晶パネルのシェアを奪回!」の記事を心待ちにしたい。

December 02, 2007

TECHWELL小里社長の講演会を聴いて

11月28日に、半導体メーカーTECHWELLの小里社長の講演会を聴いた。小里社長には、かつて起業家支援の活動をしていた際にお世話になったことがある。この小里社長率いるTECHWELLは、単独でアメリカで起業した日本人社長として初めてNASADAQ上場を果たす、という快挙を成し遂げた会社だ。その小里社長が起業からNASADAQ上場までの話をしてくれた。
もともと日系企業の半導体部門の営業担当から会社の融通の無さと報酬への疑問から起業にいたった経緯や、会社の運営を通して上場までの流れを非常に端的に説明してくれた、その話の中で特に興味をもったのは、会社の経営と上場へのプロセスにおいて、超優秀な人材の確保とそれをマネジメントするチームワークがいかに重要かという事。加えてそのマネジメントにおいてメンタルな部分では同じ志を持ちその目標達成に向けては”頑張るという根性”が重要であるという点だった。ともすれば個性が強くなりがちな秀才エンジニア達を”同じ志と根性”という点で纏め上げていくというのはある意味非常に独特ではあるが一番基本的なことではないかという感じがした。もちろん、そのまとまりの背景にはストックオプションというインセンティブがあることは否めないが、かれら秀才エンジニアたちの手によって確実に売れる商品を開発し、短期間で製品化していくという方法で、上場を達成したのだからものすごく説得力がある。
もうひとつは、日本人の社長でありながら、日本からの投資を最初から一切期待せず、海外、特に台湾、韓国といったエリアからの資金調達を中心にしている点、併せて製品も日本よりは先にアジアやヨーロッパのマーケットを中心に販売展開していたという点だ。小里社長自身が今までの会社員の経験で、日本企業の融通の利かなさや物事の決断に時間がかかりすぎる点などを重々理解してのポリシーだと思うが、私自身も常々主張している内容と方向性が同じだったので興味深かった。
投資に関してのコメントで”日本の投資家は会社員であるからリスクを負うはずがない”と断言されている点など非常に共感がもてた。私自身は残念ながらというか、投資にはまったく無縁で会社を運営しているので生意気なことはもちろんいえないが、アメリカの会社の動きのダイナミックな部分との比較を考えれば、その最初の重要なポイントである資金調達という点で、既に日本とアメリカでは歴然とした差があることを感じざるをえなかった。

こちらにいる日本人の起業家達は残念ながらその安易さ(だと思うが)ゆえに日本の市場を最優先にしたり、日本からの投資を期待したり、はたまた日本の政府関係のインフラに何とか付込んで、ビジネスの展開をしようと、してしまったりする傾向が高いのではないかと思う。かく言う私もアメリカにある日系メーカーを相手に商売しているのだが、ホンキで上場を考えたりするのであれば、まず日本との関係という概念を最初から払拭するとが先ず重要なのではないかとつくづく感じてしまった次第である。

August 27, 2007

やっぱり為替はわからない

ここ2週間ほど、株価の乱高下(特に下落)に呼応するように、為替のレートも乱高下している。円高の傾向が強くそういう意味では、弊社にとっての痛手も大きい。3週間前までは1ドルが120円を超えていたと思う。それが一時112円台まで上昇。その差は10円近かった。換算レートで10円違うということは1,000万円単位で考えると100万の変動になる。ウチのような小さい会社が100万円の利益を捻出するためには少なくとも1,000万円の売り上げが必要だ。それがこのレートの変動であっという間に消えてしまう。恐ろしいことだ。もちろん、そのリスクを回避するためには、全てドルで決済できればいいのだが、日本の中小企業との取引が中心、まして円取引の慣習にどっぷりと浸かっている環境でドル建てでの商売はまず出来ない。また銀行で為替をヘッジ(予約)することも出来るのだが、そのための手数料が派生するのと同時に、売買の期間までが厳密に決められてしまうので、これまたへたをすると逆に利益を失う羽目にもなりかねない。そんなわけで為替の相場をみては一喜一憂する今日この頃である。でも、この為替相場で何百億円もの売り買いを毎日しているディラーが存在している。このくらいの単位でびびったりして居る自分には彼らの神経と精神力はまったく理解不可能だし、自分には絶対無理だとつくづく思ってしまうが、いわば究極のギャンブラーたちの、その精神力は見習いたいとも思う。

August 15, 2007

「フューチャリスト宣言」を読んで

 

 「ウェブ進化論」の著者である梅田望夫さんから、最新刊の「フューチャリスト宣言」を頂いたので早速読ませていただいた。本書は脳科学者の茂木健一郎さんと梅田さんの対談を中心にまとまられたもの。インターネットによって変わりゆく社会をどのように理解し、それらのツールを生かしながら可能性を追求していくか。またそれによってもたらされるであろう近未来の世界をどのように生きていくか。という詳細について様々な角度から語られている。細かい内容に関する感想は別にして自分にとっては正直なところ、すごいインパクトだった。というのも理由は簡単で、自分自身が本誌に書かれている検索エンジンやBLOGやYOU TUBEといった現在すでにTOOLとして使っているサービスや技術について、ただ便利だとか面白いといった範疇でしか認識していなかったものが、実は別のもう一つの世界を構築してしまうほどのすごいものであり、その奥深い部分は自分の想像を絶する可能性があるということがわかったからだ(というか知らなかったほうがおかしいんですが…)。少なくともYAHOOやGOOGLEが世の中に出てくる前からシリコンバレーにいながら、このような大変革を客観的にしか眺めてこなかったり、欲を出して恥ずかしい話、ただ株に走ったり利殖の手段としてしかITバブルを考えていなかったであろう情けない自分とは違い、同じ地で、このような流れをここまでの洞察力をもって(特に2000年以降)掘り下げて考えてこられた梅田さんに脱帽(もちろん「ウェブ進化論」の衝撃と併せて)。そして同じことを何度も言うようだが何より自分自身が、この地でITバブルのゆりかごから墓場(ITバブルが崩壊した2000年までを一応区切りとして)までを体験してきたのに、それが自分自身の生業にほとんど生かされていないと言うか、そういうことをあまり考えても来なかったことへの後悔というか反省を促すきっかけとった一冊になった。
 本書では、グーグルの到来を日本においては幕末以来の「黒船」と表現しているが、幕末日本の黒船到来をうけて、それに委縮せず逆に触発されてグローバルな可能性を見出し、国際社会へビジネスでの殴りこみという野望を抱いて奔走していた坂本竜馬のように、自分もこの21世紀の黒船に触発されて自分の分野で可能性を追求する、とにかく理屈抜きにそんな未来に賭けるフューチャリストになりたいと思った。
 さて、そのためにはどうしたらいいのか?私の今の生業は製造業、いわゆるものつくりに深くかかわっている。この業界では、このようなインターネット、ウェブを中心とした社会から見た場合、自社商品のマーケティングやオンライン販売、物流を変える手段としてのIT化は非常に効果があるようにも思えるが、具体的なスペックの詰めやQC、改善アイデアの模索やコストダウンのための行程管理など、実際に現場に足を運んで確かめないことにはどうしようもない業務が大部分を占めていることも事実だ。オフィスに座って現場の生産状況をモニターの数字で把握しているだけでは、やはり現場のコスト軽減、改善や品質管理は難しいと思うが、これをいかに最新のインターネット技術をもって変えていくか、その可能性を追求してみる事は十分にやりがいと手ごたえのあるものだと思う。もちろん今はまだ具体的なアイデアもないし非常に難しいとは思うけれども、せっかくシリコンバレーにいるのだから、このゼロではないであろう可能性に、これからは少しづつでも力を注いでみたい。

P.S.梅田さん、本当にありがとうございました!

 

August 10, 2007

再びダラス空港にて

 今回の出張で再び立ち寄ったダラス空港で見たSAMSUNGの携帯広告の巨大オブジェ…
Samsung_Cell.JPG

日本の携帯メーカーもこのくらい気合いを入れてアメリカに再上陸してもらいたいものだ!日本の市場で限りのあるコマを奪い合うのはもうやめて、GSMもCDMAもすべて標準装備にして世界市場に打って出る気概のあるメーカーははもうなくなってしまったのか…??
寂しいな(最近こんな思いばかりしている…)。

 

July 02, 2007

I-Phone発売で思った事

先週の金曜日にアメリカではAPPLEのI-phoneが発売された。各販売店の前には、開店前に購入をもとめるファンの長蛇の列ができたという。アップルの基本的なデザインを踏襲した精錬されたデザインは確かに持ち歩くのにもファッショナブルである。おまけに操作性は抜群にカッコイイ!タッチパネル形式だがその豊富な操作性(たとえば指の動かし方で画面を拡大、縮小できるとか)は本当に驚異の世界だ。おまけにアイコンをはじめとしたグラフィクスも、これはもうお手芸だけあって秀逸な出来栄え!脱帽である。でも機能はどうか?基本的に電話に加えてカメラ、インターネット、MUSICプレーヤー、MAPその他で、特別目新しいものはなさそうである。I-PODのときもそうであったが、最近思うことは、どうして日本のメーカーがいち早くこのようなスタイリッシュな製品を開発し、アメリカ市場に投入しなかったかということだ。日本の技術力を持ってすれば何一つ不可能な事はないだろう。日本に帰ればご存じのように携帯ショップや家電量販店の店頭に百花繚乱の如く並べられた携帯電話たち。少なくともそのどれもが機能的にはI-phoneと同等かそれ以上のはずだ。気概ある日系メーカーがいち早く新しいデザインと洗練された機能でアメリカ市場に参入していれば間違いなくイニシアティブをとれたと思うと何とも複雑な気持ちである。少なくとも日本でだってスタイルとデザインを斬新にするメーカーがあれば十分にシェアはとれたと思うのに、どこの電話も相変わらず五十歩百歩の容姿でがっかりする。1990年代の半ばまでは、ほとんどの日系携帯電話メーカーはアメリカでの生産をしていた。それが2000年に入ると一斉に撤退。いまでは京セラがOEMでわずかに生産しているらしいが現在こちらの店先で日系メーカーの携帯電話を見かける事はほんのちょっぴりのSANYO製を除いては、ほとんどなくモトローラ、NOKIAとLG,SAMSUNGに市場は席巻されている。日本ではどのメーカーも価格競争に巻き込まれ、たいして利益を生むこともできないが、その利益を数で補うために連日徹夜状態だとP社の生産工場担当課長が話していた。発売と同時に品薄状態のI-phoneの販売価格は$600(8GB)だ。利益率はきっと高いはずである。日系各社の重労働と奮闘を尻目に高利益で高笑いのAPPLEが目に浮かぶ。
電子技術立国を自負しながら井の中の蛙が心地いいのか、マーケティング戦略の脆弱により海外市場においては美味しいところは、みんな持って行かれてしまって、そのために強いられている苦労が快感に変わってしまっている感のあるニッポンの家電メーカーの最近の不甲斐無さを、I-phoneの発売によっても感じでしまっているのは私だけだろうか?

June 12, 2007

Eメイル

先週まで日本出張。最近はPCと携帯電話を持参すればどこでも極端な話どこにいても仕事をすることができるようになった。自分がEメイルアドレスを最初に持ったのがたしか1995年だったと思う。それまでの通信手段は電話とFAXだけだった事を考えるといまはEメイルに携帯電話と本当に便利になったと思う。その分仕事から離れにくくなってしまった事は事実だが当然こなせる仕事の量も数倍になったのではないかとふと考えてしまう。効率が良くなった分、残業が減ったかというと日本で働く友人たちを見ているとそうでもないらしい。相変わらず家に帰れるのは9時だ10時だと話している。ではその効率のが良くなった影響はどこに出ているかというと、どうも人員の削減につながっているらしい。
さてEメイルだが、これを利用し始めた当時、あるEコマースの講演会で「Eメイルは非常に簡単で効率的な通信手段なので、その分迅速に返信をすることがエチケットだ」と講師の方が話していて、なるほど確かにそうだと感心した記憶がある。最近あたらめてそのような側面から見てみると、かなり個人差があるようだ。ただ私とメイルのやり取りをする人たちの傾向から言うと忙しい人ほどメイルの返事が早い。そしてその人たちは大概会社の第一線でエグゼクティブもしくはオーナーの立場で重職につき、バリバリ活躍している人たちだ。一概にはもちろん言えないが、こんなところにもビジネスマンの器量が表れているような気がする。

October 27, 2006

メキシコの賃金

今日はサンディエゴからボーダーを越えていつもの仕事場であるティファナへ。知り合いで来年よりここで工場を立ち上げるKさんのオフィスを訪問した。話の中でメキシコの今の賃金(給与)事情を伺う。
正直言ってびっくりした…。現地で仕事のできるマネージャーを採用しようと思ったらネットで5万ドルは必要だという…ネットで5万ドルということはグロス では少なくとも8万ドル、これに保険や年金などのベネフィットがつくから、大体9~10万ドルの計算になる。日本円にしたら1000万円を優に超えている わけだ…。これは間違いなくシリコンバレー(アメリカ)のマネージャークラスの賃金を上回っているのではないかと思う(ちなみに物価の高さが全米一といわ れているシリコンバレーを含めたカリフォルニア州の平均賃金は$42,000だそうだ)。
現在メキシコの通貨であるペソは1ドルに対して大体10ぺソぐらい。そんな感覚で今までずっとメキシコの賃金を解釈していた。つまり、所得と物価は大体ア メリカの7~8分の1ぐらいと理解していたし、この人件費の安さがメキシコで生産するひとつのメリットだと思っていたが、この話を聞いて今までの概念が崩 れてしまった。確かに実際のワーカーレベルでは現在でも大体1,000ドル~2,000ドル程度らしいのだが、管理職の給与の高さは驚きであり、これは間 違いなく製品価格に反映されるわけである。Kさん曰く「それでも優秀な人材の確保は難しい」との話だった…。
ティファナは別名テレビジョンバレーとも言われ、日系の大手メーカーのほとんどがここでTVの生産をしている。年間2,000万台近いTVがここティファ ナで生産されているそうだ。特に最近は価格の下落が著しいTV市場にあって、ここメキシコにおける生産コスト、特に人件費のメリットは既に過去のものに なっているとなると、この地でTVを生産するメリットはアメリカ/南米という大市場に近接していること(在庫を最小限に抑え、市場のフィードバックをいち 早く吸収する)だけなのだろうか?そうなると、この先、東南アジア(特に中国)からの価格の追従にどのように対応していくのか??
そうでなくともTV市場は現在なんと月に$500ずつ販売価格が下落しているそうである。このしわ寄せを一番蒙る立場にある出入りの業者の自分としては、なんとも複雑な気持ちになってしまった…。

October 15, 2006

岐阜でのセミナー

10月11日にJETROの招請で岐阜で「シリコンバレーに学ぶ製造業のビジネス戦略」というタイトルで講演会をしてきた。何かと話題の岐阜県庁をはじ め、問題の前知事が建てたという豪勢な建物の数々をまず見学させてもらう。講演を行った大垣のSOFTピアの1Fホールにはなんと織田信長の銅像まであっ た。
観客は約30人ほど。シリコンバレーのものつくりの実態とアジアの人々の同地での活躍。そして日本の製造業がどうも後手後手に回っている感のあるアメリカのコンスーマー市場の実態を話す。
実際のところ、どのような印象を持っていただけたかはわからない。正直なところ、井の中の蛙で満足しているような今の日本の現状を見る限りでは日本の中小 企業にもっともっと元気になってもらいたいところなのだが、感想としてそのような意気込みはあまり感じられなかった。というか自分の講演自身に問題があっ て説得力がなかったかもしれないのだが…。ただ、現在の日本の状況に満足し、中近東や南米ではアジア勢に席巻されている家電製品の実情や既に日本をター ゲットとしていない韓国勢の戦略を今のうちに理解していないと、そのうち取り返しのつかない状況になる可能性も否めないと感じてしまった。

 

September 21, 2006

ダラス空港にて

先月出張の途中でダラス空港に立ち寄った。ターミナルでしばし時間をつぶしていたのだが、そこで目に付いたのは、SAMSUNGの広告と各ターミナルごと
に設置された同社のプラズマTV。よくよく見てみるとフライトスケジュールのディスプレイも全てSAMSUNG製だし、ターミナルの中にはSAMSUNG
モービルのブースまで設置されていた。今まで日本の独断場だったTV産業。昨今の薄型TVでもそれは変わらないばずが韓国、台湾勢の最近の追従は強烈なも
のがある。いつの間にかダラス空港を席巻しているSAMSUNGの製品は少なからずここを経由する旅行者にかなりのインパクトを与えているはずだ。日本勢
もウカウカしてはいられない。IPODの二の舞にはらないとは思うが、気がつかないところで市場は

少しづつ失われていることを(もう気がついているとは思うが)再認識する必要があると思う。