- 自己紹介 -


-製作者(遠藤吉紀)近影-
私はエンちゃんと呼ばれています。
友人たちは、手紙やメイルの際
宛名を猿ちゃんと書いてきます。

神奈川県座間市に生まれる。自転車通学が可能な地元の中学・高校を卒業後、何とか 都内(一応23区内)の大学へ進学。高校時代より「金八先生」等の青春ドラマに 感化され教員を目指すべく国文学を専攻。 大学時代はなんとパンクロックに傾倒しバンドを結成。元東京JAP (知らないか)のべーシスト山本トモカズらとライブ活動などを行う。 また、20歳の時にVWビートルを知り合いから譲って貰ったのが縁で カーマニアとなる。60年代のヨーロッパ車、そのなかでも特にVW・ポルシェ等の 空冷リアエンジンの虜となり現在にいたる。また大学在学中より今もライフスタイルの一部となっている サーフィンに首っ丈となる。
1984年 大学を卒業後、 1年間は高校で教鞭を取るも 理想(TVドラマ)と現実の格差に失望し教員の道を断念。ツブシの 効かない学部ゆえ、どこにも就職が叶わず保険屋の紹介で近郊にある 電気製品の製造/検査機器を製作している ベンチャー企業に入社。当時まだ従業員は40人 ぐらいだったが、その後急成長。国内営業を経て1986年4月より韓国の営業を担当。現地エージェントと共に当時4大企業と いわれた現代・三星・金星(現LG)・大宇を制覇すべく現地での営業活動 に情熱を燃やす。オリンピック前の高度成長と労働争議の狭間にゆれる激動 の韓国を体験。
1987年より英国マーズエレクトロニクス社(あのチョコレートM&M'sのマーズの子会社)製品の極東地区販売プロジェクトに参加。渡英。
1988年上記プロジェクトの解散(マーズの同事業部売却)に伴い米国を担当。
1988年5月に渡米。 カリフォルニア州フリーモント市にて当時米国での販売代理店だった三菱商事に席を借り、現地での販売サポート とマーケティング活動、及び現地法人設立の準備を行う。
1989年4月現地法人設立と同時にセールスマネージャーとして赴任。 紆余曲折(ホント苦労しました。この辺の事情はジェトロ発行のジェトロセンサー 97年5月号に記事が掲載されてます)をへて、1995年より同社代表取締役となる。
98年10月になんと親会社が倒産。私も一緒に逃げ出すわけには行かず、せっかく永住権も取ったのでこのままアメリカに残り、今まで販売してきた商品のケアを中心に、色々と可能性のあることをやって見ようと99年1月に会社(www.beans-intl.com)を設立し、何とか今日に至る。

趣味は、サーフィン、スノーボード、ゴルフ、アンティーク収集などなど。
現在、ポルシェクラブofアメリカ、アートデコソサエティofカリフォルニア会員。
物欲だけでなく食欲にも情熱を燃やす40代です。


- BAY AREA LIFE -

ベイエリアに住んで見た事聞いた事、また多くの人に出会い思った事感じた事や、たまの日本で思う事を日記風にまとめてみました。

<8月10日 45歳になった>
なんと自分でもびっくりだ。45歳。もう立派な中年である。自分のいまのライフスタイルをみて波乗りに相変わらず夢中になったり普段から短パンにTシャツで生活したりと日本の同世代の人たちとはちょっと隔絶した感がある。ただこれもきっとこういう流れなんだろう。最近は何事にも逆らわずに流れを意識するようにしている。仕事は相変わらず自転車操業だが、これもきっと流れだ。ただ自分自身はとても充実していると思う。もちろん何年もこのような生活が続く保証は無いがとにかく健康には十分注意して走れるだけ走ってみたい。

<1月31日 2006年になった>
もう2006年も1ヶ月が過ぎようとしている。最近とにかく時間が経つのが早い。恐ろしいことだ。昨年は念頭の体調不良の影響からダイエットを敢行し、なんとか8kgの減。今年はさらにプラス5キロを目標に頑張りたい。仕事は年末にオフィスの浸水による引越しと、年明け早々従業員の辞職により大変になりそう。だけどはじめての展示会出品など新たな展開に向けての計画もあり、歯を食いしばってでも頑張らなければいけない。そして、これを機にもっともっと貪欲にビジネスには取り組みたいと思う。また健康には最高に気を使ってとにかく走り続けよう。それと自然に接することを大切に特に今年以上に波乗りには貪欲に取り組もうと考えている。

<2月24日 早くも2005年だ>
年が明けたと思ったらもう2月も終わりである。昨年の忙しさと暴飲暴食(というかタバコを完全にやめたせい)で夏から体重が5KGも増えた。そして、毎年恒例の定期健診では、ほとんどの数値が悪くなっていた。強烈なスタートである。酒も浴びるようには飲まないのに肝機能もちょっとよくない。やっぱり昔と違い代謝もかなり悪くなっているのだろう。あれだけ体を動かしているつもりなのに運動不足まで指摘されてしまった。今年はとりあえず健康第一である。これを最重点目標に行きたい。仕事も少しは頭を使い臨機応変な対応を心がけて行きたいと思う。

<2004年10月13日 43歳になっていた^^;>
8月は忙しかったせいか、なんとこのあいだ年が明けたとおもったらあっという間に10月だ。8月には43になっていた…そして、もう今月末でサマータイムも終わってしまう。光陰矢のごとしというのは、まさに的を得た表現だ。今年はなぜか本当に忙しかった。日系TVメーカーの薄型TV特需もあって仕事はめちゃくちゃ。3月から6月までは平行して家の改築工事。またその合間をぬって6月には念願のモルディブとリップに参加したり結構アクティブに活動してきている。そんな中、ラーメンプロジェクトからは手を引かせてもらうことにした。単純にいってしhまえばパートナーとの考え方の相違が明確になったからである。金銭的にはまったくメリットは無かったが、素晴らしい勉強と経験ができたことでよしとしようと思う。これを今後活かせるビジネスをまたできればと思う今日この頃である。

<2004年1月11日 2004年の年頭に思うこと>
最近本当に一年が早くて困ってしまう。気が付いたらもう2004年だ。去年はラーメン屋、オヤジのガン、そして新居購入と大きなイベントが立て続けにあって本当に休む暇も無かった。今年は年も年だし、もう少しゆとりを持った行動をしたいと思う。でも年初からいきなり家の改築やその他であたふたしている。ただもう少し計画を立てて、ゆっくり旅行ができるくらいのゆとりを持ちたいと思っている。あとbeansのほうももう少し安定化を図るべくコンスーマーな商材を取り入れるべくリサーチを続けるつもりだ。とにかく健康には留意しながらまた頑張ってみたいと思う。

<2003年11月30日 家を購入した>
10年住んだTEA ROSEの家を売却し、南のストーリーロードの山の手に家を買った。素晴らしい見晴らしと庭の広さが気に入った。ただかなりの金額である。前の家はおかげさまで倍以上で売れたので、その利益もあるが今度の家ははるかに高い。ただ単純にお金をためてもこのようにガンとお金が入ることは無かったと思う。今回の家もかなリ高額ではあるが資産と考えうまく運用していければと思う。それにしても金がかかる。暖房をまともに入れたらつき$300〜。おまけにプロパティTAXは$9,000だ。でも自分の城だと思って、少しずつ良くしていきたい。そしてそのためにも頑張りたいものだ。

<2003年8月15日 42歳になって>
そういえば、去年41歳になったと思ったらあっという間に一年が過ぎてしまった。8月3日で42歳。見た目も変わってないんで、全然気にしてないんだけど、これはかなりのオヤジだ。確かに今年に入ってからはラーメンの件もあり、目も回るような忙しさというか目が回りっぱなしといった感じで、そのなかでもきちんと週末は波に乗ったりアワビに行ったりととにかく、充実だけはした毎日を送ってきたと思う。ただ考えてみたら厄年(後厄)だ。これは前厄のころからとにかく気にしないできたのだったが考えてみたら去年も後半は腰痛にたたられたり、それぞれ思い当たるようなこともないわけではなかった。そんな折に突然7月親父のがんが発覚。皮膚がんで手術により足のかかとを全て切除してしまったが、先週の帰国の際には、退院にも立会い、幸い松葉杖無しでも歩けるようになって一安心。まあそんな年なんだな、とおもう。厄年というのは自分だけではなく周囲の変化も含めてのものなんだなということを強く感じた。
 ラーメン屋のほうはそこそこだが、仕事の内容に関しては運営面も含めて俺の役目は終わったように思う。この先はくまおたちに任せていき、俺はまたBEANSの仕事にある意味専念することにしよう。残念ながらラーメンに費やした時間は報酬に跳ね返らなかったけれど、アメリカで飲食店を開店し運営するという貴重な体験ができたので、これはこれで将来に生かせればOKと考えよう。

<2003年4月28日 ラーメン屋が始まった >
4月28日についにラーメン屋を開店した。当初は2月に開店の予定だったが、日本から呼んだ職人(くまお)のビザが思ったより難航した。一時はもうあきらめたほうがいいのではないか。とも思われたが、思ったより早く交付されて本当によかった。それでも1月からおみせを賃貸し、毎月3,000ドルのから家賃を4ヶ月間払いつづけたのは本当に痛かった。開店早々、お客さんにも恵まれ、本当にいい滑り出しになっている。ただ、スタッフ全員が素人で、まだまだなれない点も多いけど、逆にそのような中でうまく皆でアイデアを出し合ってやっていければいいと思う。このぷろじぇくとは最初の構想から2年。本当に長いようで、今となってはいい思い出だが、店舗の購入、リカーライセンスの取り方など、時間を代償に有意義な勉強をさせてもらったと思う。これからはこのラーメンと言う商品で、どれだけ利益を得られるビジネスにしていくか、当面の大きな課題である。特に今までの経験を生かして、マーケティングや品質工程管理にはきらりと光るような鋭さを加えていきたいとおもう。

<2003年1月8日 今年の年頭に思うこと>
早いもので2003年になった。前に書き込みをした10月からは本当にあわただしかった。まず10月の中ごろから妙な腰痛になった。もともと腰痛持ちだったのが今回はなぜか激痛ではないが持続した痛みが2ヶ月近く続いた。これには弱った。今年はいいペースで波乗りをこなし、遂に年間100日達成か!と思ったもののこんな事と、例のラーメンプロジェクトが11月の終わりから思ったより難航し、波乗り総数は70日に留まってしまった。今年は年末から旧知の友人が何組か遊びに来てくれたおかげで楽しい年末年始となった。ただやはり伴侶がいたらな〜と思う今日この頃である。ラーメンプロジェrクトは何とか2月に立ち上げるべく年始早々から奔走中それより心配なのはやはり本業の方だ。今までと感じがだいぶ違う。何とか新しい商材とその商権をGETしたい。特にUKOMのTUNERとOKIの清水さんが開発中の製品にはかなり期待している。何とか清水さんの製品の商権が取れればとおもう。これこそ乞うご期待という感じ。プライベートの方では、最近伊勢エビ取にはまっていて、3月14日までのシーズンエンドまでに後2回は行きたい。それと波乗り100日の達成!あと今年はもっとアウトドア−に力を入れるつもりである。もちろんこれらは生業がうまく行ってはじめて成り立つものだけど、まあ焦らず何とかなるでしょの気持ちを大事にしていきたいと思う。

<2002年10月9日 だいぶサボってしまったが・・最近思う事>
このコーナーへの書きこみは,何と1年以上ぶり!相当のサボりようである。もちろん今年の8月にはしっかり歳もひとつとってあっという間に41歳になってしまった。早いものだ。40を過ぎる前あたりから1年が本当に早い。「光陰矢のごとし」とはよく言ったものだ。 正直言って最近は寂しいかな体力の衰えを感じる事が多くなってきた。人から言わせれば「おまえは通常の3倍は遊んでいるからそんな風には見えない」とよく言われるが、これは事実である。以前は土日朝波乗り、午後ゴルフというスケジュールもOKだったけど今は1日ずつになった。また日帰りのスノボートリップは、朝早く起きるとゲレンデでなんとなく気力がうせている感じがする。そんな事もあって今年は出来るだけ、というか体の動くうちに色々やっておこうと思いアウトドア-活動に精を出してきた。41歳の誕生日には再びハーフドームに挑戦し、きっと生涯で忘れられない思い出を作れたと思う。今後はできるだけこのペースを維持し自然により親しんだアウトドア-ライフを継続していきたいとおもう。生業の方だが、年頭に懸念していたより何とか順調に推移している。きめの細かい対応によって需要を引き出せればまだまだなんとかなりそうな感あり。ただアジア各国の追い上げはすさまじい。資本力の差もある。これにどう対抗していくか?いかにニッチをつかむかがひとつのカギだろう。 それとラーメンプロジェクトという新しいビジネスも出来れば成功させたい。今年も残りは、あと3ヶ月をきった。この先も相変わらずバタバタと忙しい日々が続きそうだが健康のまま年を越したいと思う。

<2001年8月26日 40歳になって>
8月の3日で遂に40歳になり、はや3週間が過ぎました。正直言って自覚はない。自分の父親が40歳の時に私は10歳だった。そ考えるとこれからもし結婚して子供ができたとして、そのとき自分はいくつになるのか?なんかそんな事を考え始めている。併せて日本にいる両親の事も長男として考えなければならない時に来ているな〜と今まで思ったことのない事までなんか気になってしまう。なんか自分の意思というより摂理みたいなものを感じております。確かに体力的には寂しいかな衰えも感じるようになり、思考力も鈍ってきたような感は否めない。ただこれからの人生はやはり悔いのない様に行きたいね。だからとりあえず10年先の目標を立て、それに向かって今どうすべきか?これを具体的に考えていこうと思います。その前にまず健康第一で!

<2001年1月10日 年頭に思う事>
遂に21世紀。アメリカに来て早12年が過ぎました。昨年は自分の会社を本格的にスタートし、何もわからず無我夢中で出働いてきたという感じ。おかげで何とか会社も継続する事が出来たが、この先何処まで継続する事ができるか、また新しい事も色々考えなければならない境遇に自分の気力や体力がついていくのか…、それに日本にいる両親の事も気になる年になり、正直なところ、こういう意味では何の後ろ盾のない自分にとっては不安も一杯なのであります。とりあえず今年は40になることだし、まず抱負としては多くを望まず、健康の維持を最優先に考えていきたいと思います。今年も頑張ろう!

 


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エッセイ(97年 5月〜99年12月)